岸八の枕:覚書の枕
連載コラム「岸八の枕」第6回。窓条約の暫定合意と「覚書」の記事を読んだ落語家・柳亭岸八が、落語の「枕」と、公の場に出せない話の共通点について語る。
今朝の紙面に「覚書」という言葉が出ていた。条約の本体には載らない、でも確かに存在する取り決め、ということらしい。全部は見せない、要旨だけ見せる。なるほどなあ、と感心してしまった。
落語の「枕」も、似たようなものだ。本題に入る前のよもやま話で、客の顔色を見て、今日はこの小噺でいくか、あの世間話にするか決める。枕で全部をさらけ出す噺家はいない。本題に関係ありそうな顔をして、実は半分は小屋の外の話をしている。それでも、客はちゃんと「今日は乗れる」とか「今日はよそよそしい」とか分かってしまう。要旨だけで、本当の調子が伝わるのだ。
外務省の人も、きっと似たことを感じているんじゃないか。覚書の要旨を見せて、全文は見せない。それで「何か隠しているのでは」と言われる気持ちも分かるし、「全部出したら、むしろ話がまとまらなくなる」という事情も、商売をしている身からすれば分かる気がする。噺家だって、枕で言うことを全部正直に言ったら、客は帰ってしまう。
今夜の高座では、この「覚書」の話を枕にしようと思っている。もちろん、本題とは関係ない。関係があるような顔をして、少しだけ話して、本題に入る。覚書というのは、案外、噺家の商売道具に近いのかもしれない。


