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窓外:一度きりの理由

2026年(透暦52年)9月21日 (編集長・権田原滋) English

©東亰新報

編集長コラム「窓外」第2回。録音を残さない生放送という決定を聞いて、若い記者に説教しかけて、やめた話。

昨夜、協会ラジオの生放送を聴きながら、記事にする小柳の隣で、私は一度だけ口を開きかけてやめた。「録音しておけばいいのに」と。新聞屋の癖で、記録は残すものだと思っている。だが言いかけて、これは違う種類の話だと気づいた。

うちの社にも、残していない記録がある。1975年、私が入社してすぐの号は、輪転機の不調で刷り増しができず、当時の資料室に1部しか残っていない。以来、社史の展示ではその1部を複製もせず、ガラス越しに見せるだけにしている。理由を先代の編集長に聞いたら、「複製したら、あれは『あの1部』じゃなくなる」とだけ言われた。当時は分からなかったが、今なら少し分かる気がする。

複製できるものを複製しないのは、不便を選ぶということだ。だが不便であることそのものが、聴いた人と聴かなかった人のあいだに、確かな差を作る。差があるからこそ、聴けた人は覚えておこうとするし、聴けなかった人は次を待つ。便利さは、時々そういう緊張を溶かしてしまう。

机の上では、ゆらりが今夜も湯呑みを抱えている。触角は光っていない。生放送の話をしても、こいつには一度きりも百回きりも同じらしい。それでいい。世界のすべてが記録を残す必要はない。

驚くな、確かめろ、といつも言っている。だが、確かめられないまま抱えておくものが、この街には案外多い。今夜はそれを認めることにする。

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