岸八の枕:鐘の記憶
連載コラム「岸八の枕」第4回。今日から本運用が始まった「鐘方式」の音を聞いた落語家・柳亭岸八が、収容施設時代の記憶を振り返る。
今朝、深川の路地を歩いていたら、電柱のスピーカーから試しに一打、鳴らしたらしい音が聞こえた。試験放送のときとは違う、もう本番の音だと聞いて、思わず足を止めてしまった。
あの鐘は、わたしが十七でこちらに流れ着いて最初の冬を過ごした収容施設にもあった。停電ばかりの建物で、鳴る回数だけが頼りだった。一打は、まだ大丈夫。二打は、荷物をまとめろ。三打は、もう走れ。子どもだったわたしは、回数を数えるのが怖くて、いつも誰かの袖を掴んで数を聞いていた。
半世紀経って、同じ音が今度は防災無線から流れる。鳴らす理由は同じでも、聞く側はもう、鐘を知らない世代の方が多い。市のお役人は「鳴ったら注意、から覚えてもらう」と言っていたそうだが、わたしに言わせれば、覚える前に、まず驚いてもらっていい。あの音には、驚くだけの重みがある。
落語の枕で、たまにこの話をする。笑いにはならない話だが、客席は存外、静かに聞いてくれる。分からないものを分からないまま聞く稽古は、こちらの世界に来てからずっと続けている気がする——子守唄も、鐘も、結局は同じ稽古だったのかもしれない。
今夜の高座では、この話はしない。鐘の後に明るい噺を一つやるのが、わたしなりの筋の通し方だと思っている。
