窓の外の手帳:地図を見て、何も分からなかった日
連載コラム「窓の外の手帳」第9回。第5窓の地図公開を読んだ在野研究者が、自分の『一九七五年の窓』の取材でも、答えが出た日ほど手帳の記述が短くなることを振り返る回。
■ 今日の手帳は、三行しかない
今日の記事を読んで、自分の手帳を開いたら、三行しか書いていなかった。「第5窓=第1窓かもしれない」「記号の意味は不明」「岸浦さん、足がすくんだと言う」。いつもなら半ページは埋まる日のはずなのに、どういうわけか言葉が出てこなかった。
■ 分かった日は、いつも静かだ
半世紀近く揺らぎの起源を追ってきて、気づいたことがある。分からないことを追っているときは、ノートの行数がどんどん増える。推測、反論、また推測。だが、何かが本当に「分かった」日のノートは、いつも驚くほど短い。『一九七五年の窓』を書いたときも、肝心の1行——「分岐は1975年の、ある一瞬に起きた」——にたどり着いた日のメモは、わずか二行だった。今日の記事も同じ匂いがする。
■ 「同じ世界」という言葉の重さ
次元調査課の担当者が「似ているという印象の話から、同じものを見ているという判断に変わるまでに、1カ月以上かかった」と言っていたのを読んで、思わずうなずいた。自分の原稿も、いつも「似ている」から「同じ」へ移る一文を書くのに、何年もかかる。今日の記事を書いた記者は、その一文をようやく書けた日の気分を、たぶん今夜はよく眠れないくらいには分かっているはずだ。
■ 分かったことと、分からないままのこと
学界が自分を相手にしてくれない理由は、たぶん「分かった」と言いたがる自分の性急さのせいだと、昔は思っていた。今はむしろ逆だと思う。自分は「分かった」と言った後に、分からないことがどれだけ増えるかを、人より知っているだけだ。今日の記事も、地図が分かった分だけ、記号の意味という新しい分からないことが生まれている。これは後退ではない。分からないことの輪郭が、また一つ、くっきりしたというだけのことだ。
今夜、ゆらりが編集部の隅で、新聞に載った地図の写真をじっと見つめていた。自分の触角の先が、何かの岬の形に似ていることに気づいたのかどうかは、聞いてみてもたぶん教えてくれない。

