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文化

岸辺の人々(6) 岸谷タネさん(101) 「今年は、聴く係ですから」

2026年(透暦52年)9月3日 (文化部・遠野汀) English

9月7日の漂着記念日式典に招かれる漂着一世121人のうち、最高齢は101歳の岸谷タネさんだ。1975年の漂着当時すでに50歳だった。深川の長屋で二世の孫夫婦と暮らす岸谷さんに、52年という歳月と、式典への思いを聞いた。

■炊事場から始まった52年

深川の長屋の一室、日の当たる畳の上に岸谷タネさんは背筋を伸ばして座っていた。101歳という年齢からは想像しにくい、実務的でよく通る声で話す。「今年は、聴く係ですから」。9月7日の漂着記念日式典を控え、その一言で切り出した。

岸谷さんが漂着したのは1975年、50歳のときだった。収容施設に入ってからの日々を、岸谷さんは「働いていた記憶しかない」と振り返る。割り当てられたのは炊事場だった。「大人数の飯を作るのに、こちらの世界だ向こうの世界だと言っている暇はなかった。米を研いで、火を見て、それだけです」。当時を知る同世代はすでにほとんどが亡くなり、炊事場に立っていた頃の話を直接語れる相手は、今の岸谷さんにはほぼいない。

■「岸」の字を選んだ日

帰化の手続きで姓を選ぶ際、岸谷さんは「岸」の字を含む姓を選んだ一人だ。収容所時代に生まれたこの慣行について、岸谷さんは「決められたわけじゃない。みんな、なんとなく選んだ。岸に流れ着いたのだから、岸でいいだろうと。深い意味を考えていた人は、たぶんいなかった」と話す。谷にしたのは、亡くなった夫の生まれた土地の地形にちなんだのだという。

■餡を炊いた70歳までの京橋

帰化後、岸谷さんは京橋の和菓子屋に職を得た。炊事場での経験が買われ、餡炊きを任されるようになったのは30代の終わりだったという。「米も餡も、火から目を離した瞬間に焦げる。そこは同じでした」。70歳まで店に立ち、引退後は深川に移り、二世の孫夫婦と同居している。曾孫の一人は、9月7日の式典で「岸の子守唄」を歌う湾岸第三中学校の合唱団と同じ学校に通っているという。「歌う方じゃなくて、聴く方に自分がいるとは思わなかった、と孫が言っていました」

当時の同僚だった女性(88)は、電話取材に「タネさんの餡は、甘さより先に、まず香りが立った。理由を聞いたら、『火を見ているだけで、味は自然についてくる』って言われて、意味がよく分からなかったのを覚えています」と振り返った。

■深川の長屋の一日

いまの一日は単純だという。「六時に起きて、水を飲んで、庭の朝顔を見る。それだけで、もう一日分くらい満足しています」。長屋の小さな庭には、二世の孫が植えた朝顔が今年もよく育った。近所には、かつて岸谷さんと同じ漂着一世の知人が何人もいたというが、いまは誰も残っていない。「みんな先に逝きました。私が一番のろまだった、ということでしょう」と笑う。

膝の具合から遠出はしなくなったが、長屋の路地までは自分の足で歩く。近所の主婦が「タネさん、今日も顔色がいいですね」と声をかけると、「見た目より丈夫にできています」と決まって返すのが、界隈では小さな挨拶代わりになっているという。

■「話すと、待ってしまうから」

岸谷さんは長年、故郷の話を自らしないと決めてきた。理由を尋ねると、少し間を置いてから答えた。「話すと、待ってしまうから」。それ以上は語らなかったが、隣で聞いていた孫の妻は「祖母がその話をするのを、私も一度も聞いたことがありません」と言う。

ただし、歌だけは別だという。「歌だけは別です。歌は、話ではないから」。岸浦汐さんが半世紀ぶりに採譜した「岸の子守唄」について尋ねると、岸谷さんの表情がわずかに動いた。「歌えません、今はもう。でも、あの歌が聞こえると、炊事場が静かになったのを覚えています。誰も何も言わないのに、手が止まる歌でした」

■9月7日、「聴く係」として

式典の送迎には、市が今年から導入した市民ボランティアが当たる。岸谷さんの担当になったのは、大学生の朝倉岬さん(20)だ。応募240人超という激戦を経て、岸谷さんの送迎に決まった経緯を、朝倉さんは「面接で、聴く係になりたいと言った方の話をしたら、担当になれました」と話す。当日は岸浜公園まで岸谷さんに付き添う予定だ。

朝倉さんが送迎ボランティアに応募した理由は、大学の講義で漂着一世の口述記録に触れたことだった。「話を『取る』側になりたくなかった。ただ、隣にいたかった」と話す。岸谷さんとはすでに2度、顔合わせを済ませており、「タネさんは、こちらが構えていると、すぐに見抜く人です」と苦笑した。

市が導入した送迎ボランティアは定員80人に対し応募が240人を超え、抽選となった。朝倉さんはその狭き門を通過した一人だ。制度を担当する市職員は「一世との会話が、応募者にとって何かの区切りになっているようだ、と面接をしていて感じた」と話している。

漂着一世の招待は121人。10年前の約半数で、平均年齢はすでに70代後半に達している。市内には約480人の一世がいるとされるが、体力面で立会や式典への参列が可能な人は百数十人にとどまるという。岸谷さんは、成人儀礼「岸渡り」で必要とされる立会人の役目については「もう、その体力はありません」ときっぱり言う。それでも、式典への参列そのものは楽しみにしているという。「歌う人たちの中に、ひ孫と同じ学校の子がいるそうです。それだけで、行く理由には十分です」

正午、岸浜公園で「岸の子守唄」が初めて公の場で歌われる。岸谷タネさんは、その最前列で、52年間ほとんど語ってこなかった歌を、ただ聴くつもりでいる。

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