岸八の枕:完売という重石
落語家・柳亭岸八の身辺雑記。23日「岸辺の歌」の前売り券完売を受け、新作「窓芸」の稽古をどう変えたか、変えなかったかの話。
前売り券が完売したと聞いた日から、稽古場の空気が少し重くなった。重くなったのは客席の期待ではなく、わし自身の肩だ。
新作「窓芸」は、窓の日の由来が定まらないことをそのまま笑いにする噺だ。灯しの街だ、隣の世界だ、いや単なる語呂合わせだと、諸説を並べて誰も勝たせない。稽古では、決着をつけたくなる自分と何度も喧嘩をした。落語というのはオチをつける芸だが、この噺だけはオチをつけないのがオチになる。妙な噺を拾ったものだと、我ながら思う。
弟子に「完売と聞いて、稽古を変えましたか」と聞かれた。変えていない、と答えた。客が五百人だろうと五千人だろうと、噺の間は変わらない。間を変えるのは客の顔であって、客の数ではない。ただし、正直に言えば、稽古中に湯呑みを持つ手が一度だけ震えた。あれは客の数のせいだったと思う。
九重果林さんの連載を読んだ。62人目に会えないまま原稿を書く話だった。分からないままにしておく技術を、あの人はまだ持っていないと書いていたが、わしに言わせれば、それこそが技術の完成形だ。決着をつけないまま原稿を出す。決着をつけないまま高座に上がる。似た仕事だと思って、少し嬉しくなった。
23日は白瀬さんの子守唄のあと、わしの出番になるという。師匠の教えは「祝いの噺は短く」だったが、窓の噺の長さについては何も教わっていない。分からないことを分からないまま、当日まで持っていくつもりだ。それが窓芸というものだろう。
稽古の帰り、潮見橋で子守唄まんじゅうを一つだけ買った。二つ買う理由が、今週はまだ思いつかない。
