窓外:否定の賞味期限
連載コラム「窓外」第8回。窓条約の付属書が三週間余りで「ない」から「ある」に変わった今日の一面を読んだ編集長が、否定という言葉の賞味期限について書く回。
■ 「存在しない」という字面
今朝、三週間前の紙面を机に広げた。10月11日、外務省報道官の「そのような文書は存在しない」という発言を、こちらは律儀にそのまま引用して載せている。律儀に引用したことを後悔はしていない。ただ、今日の一面で同じ役所が「存在する」と言い直したのを読んで、あの「存在しない」という字面の賞味期限が、思っていたよりずっと短かったことに気づかされた。
■ 否定にも、賞味期限がある
新人のころ、先輩によく言われた。「役所の否定は、二種類ある。本当に無いから否定するのと、まだ言えないから否定するのとだ。記者の仕事は、その見分け方を覚えることだ」。五十一年近くこの仕事をしてきて、いまだに見分け方を言葉にできない。ただ、今日みたいな日が来るたびに、「まだ言えない」の方だったのだと、あとから分かる。
■ 宗像氏の「変わり身」という言葉
宗像鉄男氏は今日、「変わり身の速さこそが証拠だ」と言った。皮肉のつもりだろうが、記者としては少し違う感想を持つ。否定が覆る速さは、証拠ではなく、賞味期限そのものだと思う。本当に無いものは、何年経っても無いと言い続けられる。言えないものだけが、いつか言えるときを待っている。今日は、その「いつか」が来た日だった。
■ 中身は、まだ何も見えていない
もっとも、今日認められたのは「ある」という一文だけで、中身は何一つ見えていない。否定の賞味期限が切れたからといって、全部が明らかになるわけではないのが、この手の話の厄介さだ。賞味期限が切れたものを、今度はどれだけの時間、開けずに置いておけるか。そちらの賞味期限の方が、たぶん今日からの本番だ。
机の上では、ゆらりが今日も湯呑みを抱えている。触角の先が光っているが、こいつが何かを認めたことは一度もない。認める必要が、そもそも無いからだ。こちらは羨ましく思う日がある。


