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漂着五十一年、岸浜公園で式典 「岸の子守唄」半世紀ぶり人前へ

2026年(透暦52年)9月7日 (社会部・真柴湊) English

©東亰新報

漂着記念日の7日正午、岸浜公園で式典が開かれた。1975年の集団漂着から51年。招待された一世121人のうち103人が会場に姿を見せ、式典冒頭には「岸の子守唄」が湾岸第三中学校を中心とする合唱団37人によって初めて公の場で歌われた。大潮集中観測の最終日と重なる中、大きな混乱はなかった。

■正午、幕を開けた式典

7日正午、岸浜公園で漂着記念日の式典が始まった。1975年9月7日の最初の大規模透過事象からちょうど51年になる。既報のとおり会場周辺は午前9時から午後3時まで車両通行止めとなり、手荷物検査ゲートは正午の1時間前、午前11時に開いた。市民協働課によると、開場から式典開始までの間に大きな混雑や事故の報告はなく、「早めにお越しいただくほうが結果として全員のためになる」という前日の見立てどおりの運びになったという。予報は前日までの「晴れ時々くもり」が的中し、荒天による式次第の変更は見送られ、式典は当初の予定どおりすべて屋外で行われた。

■岸の子守唄、半世紀ぶりに人前へ

式典は正午の開始と同時に、既報の湾岸第三中学校を中心とする合唱団37人による「岸の子守唄」の披露で幕を開けた。歌詞の意味は今回も明かされず、対訳も配布されなかった。全13番を通しで歌い切る構成で、指導にあたった採譜者・岸浦汐さんは指揮台には立たず、客席側の最前列で目を閉じて聴いていたという。運営要領で新たに求められた「披露中のフラッシュ撮影・動画配信の自粛」は報道各社・参列者ともおおむね守られ、会場は歌の間、拍手も咳払いもほとんど聞こえないほど静かだったと市民協働課の担当者は振り返る。歌い終えると、会場からはひときわ大きな拍手が起こった。合唱団の一人、湾岸第三中3年の生徒は「意味は最後まで教えてもらえませんでした。でも、歌っているうちに、意味より先に涙が出そうになりました」と話した。

■一世121人、参列は103人

今年の一世招待121人のうち、会場に姿を見せたのは103人。残る18人は体調などの事情で来場を見送り、式典の様子は既報のとおり市内3カ所の福祉施設へ中継された。最高齢の岸谷タネさん(101)は送迎ボランティア・朝倉岬さん(20)に伴われて来場し、自ら「聴く係」と語っていたとおり、子守唄の間はまぶたを閉じたまま身じろぎ一つしなかったという(詳細は別稿「岸辺の人々(7)」)。市民協働課の担当者は「来られなかった方にも中継が届いていることを、来場された方から繰り返し確認されました。数字は減っても、気持ちの動線は途切れさせたくありません」と話す。

■観測との共同運用、大きな混乱なく

既報のとおり、会場近くの観測点では大潮集中観測が同日夕方まで続いており、市民協働課とTDAはこの日限定の合同現地本部を会場脇に設けて運用した。無線周波数の共通化と、観測車両の移動時刻を来場ピークの11時台から正午に避ける調整が功を奏し、TDA広報担当者は「観測車両と来場者の動線が交錯する場面はほとんどなかった」と説明した。もっとも同担当者は「観測は観測、式典は式典です」という従来の立場を崩さず、「重なったのはあくまで暦の偶然です」と改めて強調した。

■市長・TDA局長、参列者に声かけ

鵜飼素子市長は開式前、会場を回って一世の参列者に声をかけた。前日の会見で語った「来てよかったと思っていただける一日にしたい」という言葉どおり、式典後の挨拶でも数字への言及を避け、「今日だけは、数字より先に、皆さんの顔を見ていたいと思います」と述べた。TDA局長の火浦誠氏も式典に出席し、終了後の取材に「分かっていないことを分かっていないと言い続けるのが私の仕事ですが、今日という日には、それとは別の重みがあると改めて感じました」と語った。超党派議連「漂着記念日を国民の祝日にする会」の94人も、事前の方針どおり横断幕や発言なしでそろって参列し、世話人の戸浪誠一氏は「今日は聴くだけの日と決めていました」と話すにとどめた。

■号外配布で一日を締めくくる

式典は午後1時前に終了し、来場者は市民協働課の誘導のもと順次会場を後にした。本紙は既報のとおり岸浜公園周辺で式典後の号外を配布し、記者は「岸の子守唄」の披露直後から配布用の写真選定に追われた。会場を出た一世の一人、80代の女性は「51年前は、ここで泣くことしかできなかった。今日は、孫たちの歌を聴きに来られました」と話し、付き添いの家族とともに帰路についた。市民協働課によると、来年の式典に向けた振り返り作業は今週中に始めるという。

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