岸八の枕:仔が来た日のこと
連載「岸八の枕」第9回。窓の向こうから生きた仔が越えてきたという記事を読んだ落語家が、自分が漂着した日のことと重ねて、窓番の怪我を気にかけながら書く回。
今朝の一面を読んで、しばらく新聞を膝の上に置いたまま動けなかった。向こうから、生きた仔が来たという。わたしも五十一年前、向こうから来た一人だから、こういう記事は人より少し長く読んでしまう。
来た側の気持ちは、誰にも分からない。仔にもし気持ちがあったとして、それが怖さだったのか、間違いだったのか、それとも、ただ歩いていたら気づけばこちらだった、というだけのことだったのか。わたしが来たときのことは、もう自分でもよく覚えていない。覚えているのは、来てからのことばかりだ。来る瞬間というのは、たぶん誰にとっても、覚えておくには忙しすぎる。
窓番さんが怪我をしたと知って、枕を変えようかと迷った。笑えない話で枕を始めるのは、本来のわたしの流儀ではない。だが、迷った末にやっぱり書くことにしたのは、怪我をされた方のことを、ちゃんと気にかけている人間がここにもいる、ということだけは書いておきたかったからだ。落語家にできることは少ないが、心配するくらいのことはできる。
仔の名前を公募すると、別の面に書いてあった。名前がつくというのは、こちら側の人間になる、ということでは全然ないのだけれど、それでも、名前のない誰かより、名前のある誰かの方が、心配しやすい。わたしも、帰化したときに「岸」の字をもらって、ようやく自分の名前という気がしたのを覚えている。仔にどんな名前がつくのか、来月までの楽しみにしておく。
保護か排除か、という議論もあるそうだが、わたしの枕にそこまでの重さを持たせる気はない。ただ一つだけ言えるのは、来てしまった者を、来る前の理屈だけで測るのは、どだい無理な話だということだ。来てから、少しずつ分かっていくしかない。わたしがこの街で分かってきたことも、だいたいそうだった。


