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文化

「岸の子守唄」、本番前最後の合同練習 発音より先に、眠くなる声

2026年(透暦52年)8月31日 (文化部・遠野汀) English

9月7日の漂着記念日に初めて公の場で歌われる「岸の子守唄」の合同練習が30日、深川の市民会館で行われた。歌うのは市内の中学生合唱団28人。採譜した漂着一世の音楽教師、岸浦汐さん(74)が立ち会った。

■練習室から、舞台へ

合唱団は湾岸第三中学校を中心とする37人で、うち28人がハーフの生徒、9人が公募で加わった漂着系以外の生徒だ。29日に湾岸市民会館の練習室で最終リハーサルを終えたばかり(既報)だが、実行委員会はもう一日、舞台のある会場での通し稽古を組んだ。30日の練習に集まったのは、学校行事と重なった9人を除く28人だった。

会場に深川の市民会館が選ばれたのは、舞台の奥行きと客席までの距離が、本番の岸浜公園に組む仮設ステージに近いからだという。指導にあたる音楽教諭は「屋外は声が返ってきません。返ってこないことに慣れておかないと、当日、みんな自分の声を探して速くなる」と説明した。実際、最初の一回は、13番まで歌い終える速さが練習室より40秒ほど短かった。

■配られなかった発音記号

唄の前半は故郷の世界線の言葉だが、岸浦さんはこの日も発音記号を配らなかった。「私も意味から覚えたわけじゃありません。眠くなる声で歌えば、それで合っています」

生徒たちは岸浦さんの口元を見ながら、口移しで旋律をなぞった。喉の奥を鳴らす音、語尾が息だけになる音。直しが入るのは決まって語尾で、岸浦さんは「そこは、置いてくる音です」と繰り返した。2時間で通し稽古までこぎつけ、最後の一回は誰も譜面台を見なかった。

■「気がする」くらいの歌

合唱団のハーフの生徒の一人(14)は、この唄を家で聞いた覚えがない。「おばあちゃんが小さいころ歌ってくれた気がする、と母が言っていました。母も『気がする』としか言わないんです。『気がする』くらいの歌を、ちゃんとした歌にして返せるのがうれしい」と話した。

公募で加わった3年の女子(15)は「最初は、よその家の歌を借りている感じがして落ち着かなかった。今は、借りているままでいいと思っています」と言う。実行委員会は当日、合唱の前に歌詞の対訳を読み上げない。「訳さないまま渡す」という一世たちの選択を踏襲する方針だ。

■五十一年目の、初めて

「岸の子守唄」は透暦元年(1975年)の集団漂着の直後、湾岸の収容所で一世たちが子どもを寝かしつけるために歌っていたとされる。半世紀のあいだ譜面を持たなかったのは、「紙に書くと、歌が向こうに帰れなくなる」と一世たちが採譜を拒み続けたためだ。伝承者の一人だった岸浦さんが3年前に自ら採譜を申し出て、市の調査団と2年をかけ、13番までの旋律と歌詞を音写で記録した。

合唱団の練習は昨年10月から週2回、延べ70回を超える。集団漂着から51年、この唄が公の場で歌われるのは、これが初めてになる。実行委員会の事務局長は「五十一年目に初めて、というのは遅すぎる気もします。ただ、遅れた理由のほうが、この唄には大事なので」と話した。

■客席の、いちばん後ろ

練習の最後、岸浦さんは客席のいちばん後ろまで下がって聴いた。空席を200ほど挟んだ位置で、腕を組んだまま最後まで動かなかった。

「収容所では、壁の向こうまで届く声で歌う人から順に、名前を覚えてもらえたんです」と、終わってから岸浦さんは話した。「今日は、全員の名前が分かりました」

会館の管理人の男性(59)は、袖でその様子を見ていた。「ホールを貸すとき、たいてい聞かれるのは冷房の効き具合です。今回は『後ろの壁まで声が届きますか』でした。届きます、としか答えようがなくて、困りましたよ」

本番は9月7日、岸浜公園で正午から開かれる式典「漂着五十一年の集い」の冒頭で、参加は自由。市が招待する漂着一世は121人で、会場の様子は市内3カ所の福祉施設にも中継される。岸浦さんは当日も舞台に上がらず、客席の最後尾で聴くという。雨天の場合は近くの体育館に会場を移すが、その際も、スピーカーは客席の後方には置かない。「声が、後ろから来ないように」というのが、岸浦さんの唯一の注文だった。

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