窓番日誌:対になった記号
連載「窓番日誌」第6回。解読班の会合室に並ぶ三つの湯呑みと、今日見つかった「対の記号」について、窓番が思うこと。
第三鑑定センターの奥の会議室に、今日も三つの湯呑みが並んでいた。常滑の窯元三代目が焼いたという、少し歪んだ器。解読班の誰も、湯呑みの持ち主を決めているわけではないのに、いつも同じ位置に同じ三つが置かれる。私は窓室の人間で、本来あの会議には関係がないのだが、湯呑みを運ぶ役目だけは、いつの間にか自分の仕事になっている。
今日、記号が「対」で現れることが分かったと聞いた。塊の最初と最後に、同じ記号が一つずつ。真ん中は毎回違うのに、両端だけは必ず揃う。それを聞いたとき、私は三つの湯呑みのことを思い出した。会議が始まる前と終わった後、湯呑みの位置はいつも同じに戻る。真ん中で何が話し合われても、始まりと終わりの形だけは変わらない。
岸浦汐さんが「子守唄の切れ目と似ている」と言ったそうだ。その話を聞いた夜、私は窓室で、向こうの市場の喧騒を見ながら、自分の仕事にも「対」があることに気づいた。開く前の静けさと、閉じた後の静けさ。真ん中にどんな光景が挟まっていても、窓は必ず静けさから始まり、静けさに戻る。向こうの記号が何かを「挟む」ためのものだとしたら、私たちの一日も、同じ形をしているのかもしれない。
意味は、まだ分からない。分からないまま、今日も湯呑みを三つ並べて、会議室を出た。



