窓の外の手帳:61人目の後に、62人目はいない
在野研究者・九重果林の連載コラム。湾岸九霧事象を主題とする次回作の聞き取りが61人目で止まっている理由について。
調査ノートが214冊になった、と前に書いた。あれから何冊か増えたが、数え直す気になれない。214という数字には、もう愛着がある。
次回作の聞き取りは、既報のとおり61人目で止まっている。61人目は迫田佳寿子さん。九霧の会の世話人で、夫を23年間待っている人だ。取材のあと、彼女はわしにこう言った。「九重さん、62人目、もう決めてるでしょう」。決めていた。でも書けなかった、と正直に答えた。
62人目に会うと、この本が「揃った」ことになってしまう気がしている。九霧の話は、揃ってはいけない話だ。12人という数字を、誰かの言葉で埋めてしまいたくない。学界がわしを黙殺するのは、たぶんこの態度のせいでもある。わしは「分からない」を証拠にしたい研究者で、学界は「分かる」を証拠にしたい人たちの集まりだからだ。
先週、迫田さんから電話があった。「九重さん、待つのが下手な人にだけ書いてほしくないんです」。62人目には、まだ会いに行っていない。行くと、その人の話に「意味」をつけてしまいそうで怖い。意味をつけないまま話を聞く技術を、わしはまだ持っていない気がする。
きょうも214冊(かもしれない215冊)のノートを机に積んで、62人目のところへは行かなかった。行かない理由を書くこの原稿だけが、今週の成果だ。編集部には「取材が進んでいる」と伝えてある。半分は嘘ではない。
